シンポジウムの様子
第22回シンポジウムは、近年急速に議論が活発化している「医療技術評価(HTA, Health Technology Assessment)」を採り上げ、我が国へのHTA導入にあたっての様々な課題を浮き彫りにしながら、闊達な意見交換がなされました。特に今回長い時間を割いたパネルディスカッションでは、一般参加者からも多くの意見が発せられ、今後の議論の高まりを予見させての閉会となりました。
事務局編集による各講演内容の要約は、次の通りです。
開会挨拶 | 公益財団法人 医療科学研究所 理事長 | 江利川 毅 |
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来賓挨拶 | 厚生労働省 医政局 経済課長 | 鎌田 光明 |
座長 | 国際医療福祉大学 薬学部 薬学科 教授 公益財団法人 医療科学研究所 理事 |
池田 俊也 |
講演1 | 国立保健医療科学院 研究情報支援研究センター 上席主任研究官 | 福田 敬 |
講演2 | 慶應義塾大学 商学部 教授 | 権丈 善一 |
パネリスト | エーザイ株式会社 ガバメント・リレーションズ部 課長 日本製薬工業協会 国際委員会 委員、産業政策委員会 委員 国際医療福祉大学大学院 博士課程(社会人大学院生) |
東 美恵 |
帝京大学医学部 衛生学公衆衛生学 講師 | 白岩 健 | |
独立行政法人 国立がん研究センター がん予防検診・研究センター 検診研究部 検診評価研究室 室長 |
濱島 ちさと | |
日経BP社 日経ドラッグインフォメーション 副編集長 | 北澤 京子 | |
閉会挨拶 | 公益財団法人 医療科学研究所 専務理事 | 戸田 健二 |
(敬称略)
国際医療福祉大学 薬学部 薬学科 教授
公益財団法人 医療科学研究所 理事
池田 俊也
「医療技術評価(HTA)」とは、医療技術を適用した場合の短期的ならびに長期的帰結を評価する政策研究の様式である。評価の側面には、安全性、効能(efficacy)、患者報告アウトカム、real-worldでの効果(effectiveness)、費用、費用対効果、社会的・倫理的・政治的影響などが含まれる。
HTAの評価には、有効性の視点、経済性の視点、そして社会的視点がある。特に有効性においては、治験で得られたefficacyだけではなく、実際の診療場面でのeffectivenessが重視される。また、経済性においては、実施費用や医薬品単価といった費用だけでなく、費用対効果が重視され、多くの場合、モデル技法などを用いたシミュレーション推計となる。
HTAを政策利用するとき、日本は治験データを中心とした価値の評価が行われ、それが価格等の判断に使われているが、これは広義のHTAと言える。一方、質調整生存年(QALY)を用いた経済評価重視型のHTAは、イギリスをはじめ、ニュージーランド、ポーランドなどで積極的に用いられている。薬剤の例で言うと、ある比較薬に対し、新たに評価対象となる薬剤を使った場合、追加の費用はかかったとしてもQOLの良い状態で生存し得た場合の増分質調整生存年が追加費用に見合ったものかどうか評価するのが、QALYを用いた費用対効果の推定となる。
費用対効果の推定を行うことは様々なレベルの意思決定に有用であると言われているが、HTA の政策への導入にあたっては、その手法、分析結果の妥当性の検証、倫理的問題など、十分な検討が必要であり、海外ではネガティブな影響が顕在化したこともある。今回のシンポジウムは、そうした課題についての活発な意見交換の場として設定した。
国立保健医療科学院 研究情報支援研究センター 上席主任研究官
福田 敬
オーストラリアは、1993年より医薬品給付諮問委員会(PBAC)において、医薬品の経済評価に基づく給付決定を行っている。PBAC はrecommendationで最終決定は保健大臣だが、ネガティブな評価は必ず非収載となり、価格についての影響力も保持している。
イギリスはこの政策をとる代表的な国で、1999年にNICE(National Institute for Health and Clinical Excellence)が設立され、医薬品や医療技術などの経済評価を行い、NHSに対して給付範囲に加えるべきかどうかの勧告を行っている。経済性(費用対効果)が重視されるのが大きな特徴である。ただし、医療機関がNICEのガイダンスが出るまで新薬の採用を様子見するなどの課題があり、これに対し、単一医薬品・単一適応症に対するガイダンスを迅速なプロセスで出すことに取り組んでいる(Single Technology Appraisal, STA)。それでも医薬品アクセスの問題が顕在化しており、2009年からはPPRS改革として、弾力価格制、患者アクセス保障の仕組みが導入された。さらにCancer Drugs Fundからの給付や、すべての医薬品の薬価を経済性に見合うと考えられる閾値以下になるように設定しようという動きがある。
スウェーデンでは、2002年より外来薬の償還時に医療経済評価の提出が義務化されている。それをTLVという機関が評価・判断をしており、償還薬の再評価も行っている。
日本で医療経済評価を政策に応用するのは、医療への投資の合理性を高めるため。国民皆保険の日本では、新規の医薬品・医療技術が従来より少しでも優れるのであれば公的医療保険でまかなうのが理想だが、財源が限られているため、費用対効果に優れたものを優先してカバーしていくべきと考える。
仮に医療経済評価を薬剤の給付に応用するのであれば、保険償還や償還範囲の設定、新薬の薬価算定、既存薬の薬価算定、臨床ガイダンスの作成といった方法があり得る。それぞれにメリットと課題があり、引き続き議論が必要である。
慶應義塾大学 商学部 教授
権丈 善一
今年2月に医療科学研究所の池田氏、東氏によるHTAの研究会に出席し、そこで自分たちが研究していることの限界を正直に語る姿をみて、清々しい感動を受け、「研究と政策の間にあるはずの長い距離の自覚と無自覚」という文章をホームページに掲載した。すると、私のホームページの読者であるらしい白岩氏より連絡があり、経済学の観点よりHTAに関してアドバイスが欲しいという依頼を受けた。その後出席したHTA研究会で、議論を聞きながら作成した資料を基に報告する。
まず社会科学からすると、分析にはPositive Analysis(実証分析)とNormative Analysis(規範分析)の2つがあることを医学や薬学の先生には理解していただきたい。前者の分析は「である」というBe動詞で答えることができるが、後者は「べきである」という答えとなる。政策の手前にある医学や薬学は実証分析であろうが、政策論はそれだけでは不可能であり、規範分析を必ず必要とする。そして規範分析の背後には必ず価値判断がある。そして価値判断の問題は、研究費やマンパワーを大量に投入してもどうにもならない側面をもっている。
経済学の中で規範分析を展開したピグーの厚生経済学における分配の第2命題は、ライオネル・ロビンズによって否定される。そして、経済学の中での効用の概念は「1単位満足した」、「A氏の効用はB氏の効用よりも2倍高い」といった基数的効用から、「状態xよりも状態yのほうが望ましい」というような序数的効用に切り替わり、「A氏の効用とB氏の効用は比較できず、するべきではない」という効用の個人間比較を不可能とする世界に入っていく。その後、経済学は民主的客観的方法で社会選好を導出する方法を模索するのであるが、アローの不可能性定理がこの問題に決着をつける。そして経済学者の中の幾人かは、ミュルダールの言うように「価値前提を排除した社会科学は実践性の乏しいものになる」ことを強く自覚し、かつてロビンズを次のように評したケインズの言う世界に回帰することになる――「経済学はロビンズの考えとは反対に、本質的に道徳科学(moral science)であって、自然科学(natural science)ではない。換言すれば、それは内省と価値判断を用います」。医療経済学の泰斗フュックスが「きちんと論証された経済研究は、それはそのまま政策化されると経済学者が考えるとしたら、それは甘い。政策は、分析と価値判断の両方に基づいて決められる」と、若き医療経済学者に忠告していることを、HTAの政策利用を考える研究者は、胸にとどめておいた方がいいのかもしれない。
つまりHTA研究者やQALY研究者は、自らが行っていることは、医学や薬学など自然科学では決してなく、モラル・サイエンスであるという自覚を持ち、自分たちの研究の中にどのような価値前提が内在されているのかを正直に明示していくことこそが、研究者としての誠実な姿勢となるはずである。そして、いかなる価値前提を置くかどうかということは、残念ながら、研究を猛烈に進めていけば正解にたどり着けるという類いの問題ではないのである。
政策に携わるステークホルダーが、QALY計算に必要となる基数的効用をはじめとしたいくつもの前提に疑念を抱いている状態で、QALYを政策に活用すると、利害調整の側面で大きな政治的摩擦が生じかねない。QALYが医療政策に適用されても、適用前と適用後とでは、政策の中身はほとんど変わらなかったが、社会的調整コストが増加してしまっただけということになる可能性も否定できない。なによりも、HTAの政策利用を考えている研究者は、自らは規範分析の世界に位置することを自覚し、たとえば、QALYの値を、理論的に、あるいは客観的に決めることができるかのような表現は、避けるべきであろう。
エーザイ株式会社 ガバメント・リレーションズ部 課長
日本製薬工業協会 国際委員会 委員、産業政策委員会 委員
国際医療福祉大学大学院 博士課程(社会人大学院生)
東 美恵
まず、主要4ヵ国(英・独・仏・米)で費用対効果評価はどのように利用されているか。費用対効果評価(Cost/QALY)は、日本を含めた医薬品開発主要5ヵ国中、イギリス以外では利用されていないが、広義のHTAについては、日本、ドイツ、フランスでは有用性の相対比較が利用されていると言える。イギリスでは、費用対効果評価を償還の可否または償還価格の設定に用いる。フランス、ドイツ、アメリカ及び日本では、費用対効果評価を公的医療提供の意思決定には用いていない。フランス、ドイツでは、費用対効果評価ではないが、相対的有効性が評価され、評価結果を参考に薬価が決められている。
次に、効果指標のひとつであるQALY をどう見ているか。主要4カ国ではQALYの使用に関する考え方は様々である。フランスのガイドラインでは、もし健康関連QOLが対象医療技術の重要な帰結と見なされるならQALY の使用が望ましいとされているが、そうでなければ生存年をアウトカムとすることが推奨される。ドイツは、QALYの使用に対しては批判的であり、アメリカは、QALYあたりのコストを費用対効果の判断基準とすることを禁じている。イギリスは、NICEの評価ガイドラインで効果指標をQALYに指定していているものの、QALYに基づく狭い価値評価への指摘もある。
最後に、費用対効果評価導入による影響は、諸外国の例を見ても、患者にとっての医薬品アクセスの問題が最も大きい。革新的な新薬の利用の遅れ、承認されても償還されないことによる医薬品アクセスの制限、承認から償還決定まで時間がかかるなどの問題がある。また、HTA評価組織運営のためのコストの課題もあるだろう。
帝京大学医学部 衛生学 公衆衛生学 講師
白岩 健
論点の1点目は、医療経済評価を意思決定に用いることによって、NICEのように新規医療技術へのアクセス制限が生じるのではないかという懸念である。HTAと言えばNICE、NICEと言えば高額な医薬品に対する非推奨と連想されがちだが、もともとNHSは医療技術へのアクセスが悪かったことには注意が必要である。NICEが存在しなかったらNHSで使用できたかということは慎重に考えるべきだろう。
2点目は、QALYは国際標準なのか。薬価算定の参照国である英・米・独・仏のうち、QALYを用いているのはイギリスのみで、世界的にも少数派であるという意見もある。しかし、そもそも英独仏は経済評価の利用がされていないか、途についたばかりの国々である。また、アメリカでは民間の保険者等ではQALYを用いた評価も行われている。実際に医療経済評価を意思決定に用いていてQALYを排除している国は私の知る限りない。
3点目は、制度の費用対効果について。NICEは職員数500人(一説には2,000人)で予算が100億円とも言われるが、大規模な人員の確保や費用対効果はどうなのか。この点については、NICEの当該部署は30〜40人程度で、予算は10%程度であることを考慮すべき。
4点目は、QALYと技術の価値の問題。QALYでは医療技術の価値を十分に捉えきれないのではないか。確かに、QALYは健康アウトカムの指標に過ぎず、例えば家族介護の負担といった社会的価値は捉えられない。ただし他の指標でも同様である。家族介護のようなより広い社会的便益については費用の側面から検討すべきである。もちろん、QALYでも費用でも捉えきれない考慮すべき価値やQALYを算出する際の仮定や前提条件については、意思決定の際に十分に検討すべきである。
最後に、現行薬価制度と費用対効果について。現行の薬価制度は類似薬比較方式による加算等の仕組みにより費用対効果が考慮されているという意見もある。しかし定量的な費用対効果は考慮されていない。定性的な費用対効果の妥当性についても検討すべきだろう。
独立行政法人 国立がん研究センター
がん予防検診・研究センター 検診研究部 検診評価研究室 室長
濱島 ちさと
HTAの方法論は、保健医療技術の効果の検討、保健医療技術の経済評価、医療制度の検討、保健医療資源の配分、社会的・倫理的課題など多岐にわたり、議論としては経済評価に偏った側面があるが、実際はもっと幅広いものだ。
がん検診のHTAに関連する事例を紹介する。イギリスでは便潜血検査を用いた大腸がん検診を公共政策としての導入を検討した。2007年には有効性が確立し、さらに費用効果が優れている60〜69歳を対象とした便潜血検査による大腸がん健診を導入。シグモイドスコピーは医療費抑制の可能性が示されたが、有効性の検証が不十分として導入は見送られた。2010年、シグモイドスコピーにより死亡率が30%減少することが証明され、追加的に導入となった。まず最初に効果を検証し、それに基づいて正しい経済評価を行ったことが政策決定に導かれる要因となった好例である。
前立腺がんにおけるPSA検診の有効性については、09年(中間報告)、11年(最終報告)のアメリカ、ヨーロッパでの大規模RCTでは死亡率について相反する結果が出た。利益と不利益のバランスを考慮すると積極的には推奨しないというのが多くのガイドラインの結論であるが、アメリカ、日本の泌尿器科学会のガイドラインは推奨している。特に日本では住民検診でも行うべきとしており、世界でも特異な例となっている。
子宮頸がんでは、HPV検診導入への評価研究が進められているが、HPVには3つの検査方法がある。RCTの結果、オランダ、イタリアでは単独法を推奨、一方、USPTSF(米国)では、モデル予測を重視して細胞診との併用法を推奨している。USPTSFのモデルを日本に当てはめると、死亡率は下がるが、不利益となるコルポスコピーは増加する。現在、ガイドラインでは利益と不利益を勘案することが大きな課題となっている。
HTAには広い視点が求められる。科学的根拠を集大成しながら診療ガイドラインにまとめるEBMの流れに、様々な視点から問題点を認識しつつ医療政策に反映させるべき。国際標準に基づいた正しい評価研究を前提に、利益と不利益を評価する必要がある。課題としては、適切な方法に基づく評価研究・経済評価の実施、優先順位の検討や、わが国独自のエビデンス創出もあるだろう。
日経BP社
日経ドラッグインフォメーション 副編集長
北澤京子
10年ほど前より、診療ガイドラインの取材を契機にイギリスのNICEの活動に関心をもつようになった。厚労省の予防接種部会で、ワクチンに経済評価を導入する際の意見を述べたことがある。
医療費が毎年増え続けるなかで国民皆保険制度を今後も維持していくのなら、限りある財源をどう配分するか考えざるを得ない。個々の医療技術を評価する際も「有効性」「安全性」に加え「経済性」の評価が必要。外国の方法をそのまま導入することには限界があるが、学ぶべきことはある。HTAを医療政策に活用するにあたっては「声の大きい人」だけで決めるのではなく、患者の立場も含めて様々なステークホルダーの合意の基でルール化してほしい。新しい、よりよい医療技術の開発には企業側にインセンティブが必要なことは理解できるが、そのために優れた技術が患者の手に届かないのでは本末転倒。企業の開発意欲、患者のアクセス、そして医療制度全体の持続可能性、これらを調和させるためにHTAを活用してもらいたい。
経済評価を導入すると費用対効果がわるいという理由で新規の医療技術に対する患者のアクセスが阻害されるという意見がある。HTAは集団を対象とした「エビデンス」が基になるが、患者には「私」にとっての有用性こそが重要。新しい医療技術が存在しているのに費用対効果が悪いからという理由でアクセスできないとしたら悔しい思いをする患者も出るだろう。しかし、財源に限りがあるのならルールに則って決めるべき。QALYは疾患横断的な評価ができるという利点がある。もうひとつ考えておくべきは倫理的な問題。QALYは患者の生命の質と量を数値化して比較可能にするツール。一人ひとりの患者が生きる価値とどう調和させるか慎重な判断が望まれる。
森臨太郎先生が指摘するように、「質の高い方法論」と「ガバナンス構造の確立」が必要と考える。先生は、研究を行う際の中立的立場と科学的根拠に基づくことを維持する一方で、課題を設定し、科学的根拠に基づく解決を進めていく際にはすべての主要な利害関係者を巻き込んでいくような組織を設立することが重要とも述べている。
従来シンポジウムよりも長く、60分の時間をとって行われたパネルディスカッションは、池田座長と4名のパネリストを中心に、聴講者からの質問や意見にも多くの時間が割かれ、活発な意見交換がなされました。さらに終盤には特別発言として、遠藤久夫先生(学習院大学)、武藤正樹先生(国際医療福祉大学)が登壇し、会場内を沸かせました。
会場からは「HTAを日本に応用する場合は薬価を下げるべき」「薬価を下げるのは大衆の賛同を得やすいが、薬価以外で評価する方法の検討も」「日本版HTAを確立することによって、それを逆手にとって革新的な新薬の研究開発に役立てられるのでは」「QALYでは1と0の間にすべての疾患の効用を当てはめることができるのか」「経済評価が必要な一方で、数字だけでは割り切れないモラルサイエンスが重要」「民族の差や国の制度の違いにより一律の議論は不可能」「薬物治療のコストについての経済性だけでは医療費全体を捉えることはできない」「ガイドライン作成を含め優性順位をつけるのが重要」など、多くの意見が寄せられました。