医療の多面的価値、バリューフラワー

2024年度の医研シンポジウムでは、医療の多面的な価値について議論されました。従来の費用対効果分析を超えて、医療介入の価値を多面的に評価するための枠組みとして、国際医薬経済・アウトカム研究学会(ISPOR)が提唱する概念「Value Flower」に着目しながら、医療のより幅広い価値を考慮することの重要性が論じられ、盛んな意見交換がなされました。
本シンポジウムは、会場およびオンラインシステム(Zoomウェビナー)の参加方法により同時開催されました。オンラインでは200名以上のご参加、会場にも例年より多くの方に足を運んでいただき、休憩時間にも参加者同士で議論する姿が見られるなど、本テーマへの関心の高さがうかがわれました。
座長基調講演およびパネリストの講演要旨は以下よりご覧ください。
※講演録は機関誌『医療と社会』(Vol.34, No.4. 2025年2月)に掲載予定です。
シンポジウム概要
プログラム
注)下線のお名前・項目をクリックすると講演要旨をご覧いただけます。※動画配信は終了しました。
開会挨拶 | 公益財団法人医療科学研究所理事長 | 三村 將 |
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来賓挨拶 | 厚生労働省大臣官房医薬産業振興・医療情報審議官 | 内山 博之 |
座長基調講演 | 東京大学大学院医学系研究科教授 | 橋本 英樹 |
講演 | 国際医療福祉大学医学部教授 キヤノングローバル戦略研究所研究主幹 |
池田 俊也 |
東京大学大学院新領域創成科学研究科 サステイナブル社会デザインセンター准教授 |
齋藤 英子 | |
ヤンセンファーマ株式会社インテグレイテッド・マーケットアクセス本部 医療政策部アソシエイトディレクター |
廣實万里子 | |
キャンサー・ソリューションズ株式会社代表取締役社長 | 桜井なおみ | |
東京大学大学院薬学系研究科特任准教授 | 五十嵐 中 | |
パネルディスカッション | ||
質疑応答 | ||
開会挨拶 | 公益財団法人医療科学研究所専務理事 | 松江 裕二 |
(敬称略)
座長基調講演

医療の多面的価値、バリューフラワー
東京大学大学院医学系研究科教授
橋本 英樹
本シンポジウムは、学識経験者のほか、政府的な立場、メーカー側の立場、そして消費者の立場の演者にご参加いただいた。
バリューフラワーは、国際医薬経済・アウトカム研究学会(ISPOR)、つまりアメリカの研究者が中心となって、2018年に学会誌『Value In Health』に発表された「アメリカもの」で、その背景には、民間保険中心で、競争環境がある。従って、バリューフラワーをそのまま日本に当てはめるのは的外れである点は押さえておいていただきたい。
費用対効果だけでは測れない価値についての議論は30年以上も前からなされてきた。それがなぜ今日、再び議論が白熱してきたか。それは今まで声なき声を上げてきた方々の声が届くようになったからだ。様々なステークホルダーの価値観を取り入れた合意形成が必要であることが認知され、広く議論できるような環境が整ってきたことにポイントがある。
これを日本の環境に当てはめていただきたい。日本の国民皆保険制度は、世界的に見ても比較的平等につくられている。ただし、様々な点でエフィシェンシー上の問題があるということは指摘されている。これまで費用対効果については、中央社会保険医療協議会が判断してきた。このことに対し、より広いステークホルダー、特に当事者の方々、メーカーの方々、それから一般の消費者の方々、もしくは税金を払っている人たち、それぞれの価値観がどのように政策合意の形成に取り込まれていくべきか、また、それをどのようにエビデンスベーストで「見える化」していくか、それが本シンポジウムの真のテーマである。
講演1

患者・社会にとっての医療の価値とは?
Value Flowerがもたらす新しい価値評価の視点
国際医療福祉大学医学部教授
キヤノングローバル戦略研究所研究主幹
池田 俊也
バリューフラワーは2018年に、国際医薬経済・アウトカム研究学会(ISPOR)の特別タスクフォースとして、アメリカの制度を想定して提唱されたもの。従来の費用対効果分析は、医療費を中心とした費用と、健康アウトカム、特にQALY(Quality-adjusted life year:質調整生存年)で行っていたが、この枠組みを超えて、患者に与える利便性の向上や、治療の希望を提供する精神的な価値、家族や社会全体に及ぼす影響といった、より広範な価値を考慮した評価基準を提案したのがバリューフラワーであると整理できる。
2018年に提案されたオリジナルの12要素は、中核的要素として、①QALY、②純費用。一般的だが使用されていない要素として、③生産性、④アドヒアランスの改善。潜在的な新規要素として、⑤不確実性の提言、⑥感染や病気への恐怖、⑦保険の価値、⑧重症度、⑨希望の価値、⑩リアルオプション価値、⑪公平性、⑫科学的波及効果。
各項目について解説する。③生産性は、患者の健康が改善して労働市場に復帰することで、その個人や介護や看病にあたる家族の生産性が向上し、社会全体の経済的利益を生むことを指す。④アドヒアランスの改善については、論文は少ないものの本来は考慮すべき。⑤人々にはリスク回避の傾向があり、例えば、確実に1年延命できる治療のほうが、0年か2年かというギャンブルのような治療よりも好まれるという研究データがある。⑥中国でのパンデミックの初期における「恐怖経済効果」は3,000億ドルもの損害をもたらしたと言われる。⑦保険の価値は、医療保険により安心感を提供することの他に、将来の病気のリスクを減らす、ワクチンや検診などの予防医療が挙げられる。⑧重症度の高い疾患はより優先的に対応されるべきで、実際、いくつかの国では意思決定要素として用いられており、ノルウェーやイングランド、オランダでは、Absolute QALY shortfallやProportional QALY shortfallといった考え方で定量評価し、費用対効果のICER(増分費用効果比)の閾値を動かすということが実際に行われている。⑨新しい治療法や技術が患者や家族に与える希望や心理的な安心感。例えば、がんの新しい治療法や難病に対する臨床試験の実施など。⑩現在の技術が新たな治療法や技術を可能にする価値。例えば、ある治療を受けることで延命できたとして、その間に新たな治療にアクセスできるなど。⑪アクセスの平等性や健康格差の縮小、アンメットニーズへの対応など。単に費用対効果の効率を追求するばかりだと公平性の点で課題にぶつかることになる。⑫研究開発の過程で蓄積される知見やデータが、後の技術革新に寄与するという価値。例え研究開発が失敗に終わったとしても、その過程で得られた知識が将来的な技術や治療法の開発に役立つことがある。
バリューフラワーの新しいバージョンでは、家族への波及効果、知る価値、という2つの要素が入れ替わって追加された。研究者や時代によってこれら要素が新しくなるのは当然のことだ。
医療の多面的価値を認知症治療薬で考えると、直接的な健康効果と共に、家族への波及効果がある。新薬によって患者の自立期間が延びれば家族の負担が軽減され、精神的・経済的な負担も減少する。さらに希望の価値もある。新薬の開発が心理的な安定、将来への期待につながる。医療科学研究所の機関誌『医療と社会』に、ドネペジル(アリセプト)の経済評価についての論文を2000年に寄稿したが、介護費を含む費用とQALYを使った費用対効果の分析はおそらく日本初かと思うが、この時、家族の介護負担を含めることができなかったことが研究の限界として記されている。2022年には五十嵐中先生と、アルツハイマー病治療に関する価値評価について、文献レビューと専門ケアワーカーへのグループインタビューを元に論文をまとめた。様々な価値が認められたが、特に大きいのは公的医療費、加えて公的介護費、家族の介護負担、QOLなどであった。
費用対効果という、いわゆる支払い者の立場だけではない、患者や社会にとっての価値を評価する必要があることは言うまでもない。ただし、どのようにして評価するのか、定量的に評価できるのか、そしてその価値の捉え方について共通認識は可能なのかが課題となる。
価値要素を定量化するのは難しい。例えば「希望」を、その心理的な価値と他の治療法や技術を相対評価して数値化するのは困難な課題だ。価値要素を正確に測定し、他の要素とバランスよく評価するための一貫した定量化手法が必要。また、異なるステークホルダー間の価値の捉え方には違いがある。患者、保険者、製薬企業など、すべての関係者が納得できる評価フレームワークを構築するためには、異なる価値観をどう包括的に取り込み、調和させるかが課題となる。
講演2

デジタルヘルス技術を活用した女性の健康促進と多面的価値評価
衡平性の視点から
東京大学大学院新領域創成科学研究科准教授
齋藤 英子
バリューフラワーにおける「衡平性」とは、健康格差と密接に関連しており、QALYや費用対効果などの指標では捉えきれなかった概念と言える。なお、衡平性(Equity)は、平等性(Equality)とは異なる。平等性とは、すべての人に同じ量の資源やサービスを均等に与えること。一方、衡平性は、回避可能かつ不公正な健康格差が存在しないこと、あるいはその是正をめざしていくことだ。
保健医療の衡平性では、①健康状態の衡平性、②リスク要因の衡平性、③保健医療サービスの衡平性、④医療費負担の衡平性、の4つが考えられる。都道府県別医療費支出と死亡率を調べると、1人あたりの医療費支出が同じであっても、長野県と青森県では死亡率に雲泥の差があり、衡平性が損なわれている可能性がある。飲酒、喫煙、肥満率などのリスク要因と密接に関連する大腸がんの死亡率にも地域格差が見られる。
私どもの研究班では、デジタルヘルス技術を活用した女性の健康づくりにおける多面的価値評価尺度に取り組んでいる。女性には年代に応じ、生活習慣、PMS(月経前症候群)、ストレス、メンタルヘルスなど、様々な健康問題がある。特に働く女性においてはIoTアプリを活用した健康づくりの取り組みが増えてきているが、そのようなIoTには医薬品のように確固とした評価基準がない。「安い」「おしゃれ」といった曖昧な基準に頼らざるをえない状況があるなか、どのような客観的価値評価指数が提案できるのだろうか。
多面的健康尺度と経済性評価の他に、将来世代に向けた新たな価値評価として「衡平性」に注目している。デジタル格差や社会経済状況による格差、ジェンダー格差などを俎上に上げて検討している。デジタルヘルス機器の対象は、スマホのアプリ、スマート衣類、スマートリストバンド、スマートリングなど。最近よく聞かれるようになったフェムテック(Female×Technology)でもIoTが多く導入されており、妊娠しやすい時期を測定し「妊活」に役立てたり、スマホと連携して骨盤底筋トレーニングができるデバイスなどが登場している。これらについてもどんな価値評価で尺度が出せるか議論している。
日本の働く女性のIoTアプリ利用実態を調査したところ、意外なことに約8割が未経験であることが分かった。利用状況を見ると、学歴が大きなファクターであることが判明。大卒・大学院卒では7割程度の方が利用している一方で、中卒・高卒などでは3割程度で、デジタルヘルスの活用においても社会経済的な格差の存在が示唆された。
諸外国では衡平性の価値尺度がどの程度導入されているか俯瞰するために、豪加仏独韓英米の7か国およびWHOのデジタルヘルス技術評価ガイドラインを比較レビューした。ガイドラインの目的は様々で、オーストラリアはイノベーションの創出としており、産業の育成寄り。イギリスは公的保健医療システムに該当するデジタル技術を導入するかの判断基準。アメリカは医療機器・ソフトウェア製造者による定期的な品質管理に用いるためと、より具体的だ。ガイドラインの中で衡平性がどのような位置づけなのか比較したところ、アクセスを含む衡平性は英独仏加豪の5か国で評価尺度として採用されており、安全性やプライバシー情報の保護などと並んで重要な項目と捉えられている。国により独自に詳細な定義を記載しているガイドラインと、単語のみを記載しているガイドラインとで隔たりがあり、評価項目の採用度合いにもばらつきが見られた。安全性やプライバシー情報保護などに加え、アクセスを含む衡平性についても相対的に重視されている。
近年デジタル格差が問題となるなか、デジタルヘルス技術を活用して健康づくりや受療行動に結ぶつけることができる層と、様々な理由でIoTやアプリ、などを用いる機会が少ない層との間の健康格差拡大が懸念されている。つまり、衡平性に何らかの配慮がなされているかどうかという点は、今後のデジタルヘルス技術普及のための重要な要素になると考えられる。
実際に今、デジタルヘルス分野における衡平性にはどんな課題があり、どんな方向性が考えられるのかという文献レビューも行った。まず、デジタル格差はアメリカやスウェーデンなどで、アフリカ系米国人、PLWH(People living with HIV)、あるいは移民など特定のグループに見られた。また、コロナ禍の影響が大きかったという研究結果が多く見られた。コロナ禍ではテレヘルスが普及したが、その決定要因がデジタルリテラシーであったこと、また、デジタル阻害の主な要因には、スキル、アクセス、および手段の欠乏と動機づけの欠如が挙げられている。衡平性の実現に向けては、例えば、ピクトグラムや絵文字、音声のようなユニバーサル言語の使用を推奨するという研究がある。
デジタルヘルスにおける衡平性の担保のためには、アクセシビリティ、受容度、使いやすさを改善していくことが重要で、そのためには、まずユニバーサル言語を検討する。デジタル機器が介助者を必要とする場合には、その介助者に向けたサポートも必要。デジタルヘルス技術の使いやすさやユーザーエクスペリエンスを検証すること。そして、携帯利用クーポン券などアクセス向上対策を図ることが挙げられる。デジタルヘルス分野での衡平性の実態把握と効果検証はあまり進んでいないが、アメリカなどではHealth Information National Trends Survey (HINTS )というサーベイツールによってデジタル格差を測っている。また、インターネットで利用できるeHealth Literacy Scale(eHEALS)という衡平性の実態把握ツールもある。
アクセスとアクセシビリティを含む衡平性は、健康づくりとデジタルヘルス分野では欠かせないものである。より広範な配慮を組み込んだ費用対効果としては、患者や利用者団体の参画、現時点でのアンメットニーズの大きさ、介助者のQOL、社会参加の機会への影響、社会的弱者のインパクトなどがある。そして、女性の社会参加にとってプラスとなる要素があるかどうかも重要と考えている。
講演3

新規モダリティなどの革新的な医薬品の価値評価
ヤンセンファーマ株式会社インテグレイテッド・マーケットアクセス本部
医療政策部アソシエイトディレクター
廣實 万里子
今の日本の実態を考えると、医薬品の価値評価のほとんどは薬価制度のもとで行われていると言える。医薬品の研究開発に要する期間は非常に長く、成功確率も低い。そのような状況の中で世界的には創薬開発はスタートアップが多くを担うようになり、研究開発の外部環境は大きく変化している。また、新規モダリティの開発も増加しており、治療技術も多様化している。日本の薬価制度の歴史を見ると、2015年以降、50以上のネガティブな薬価算定ルール変更が行われてきた。そんななか2023年頃からドラッグラグ・ロスの問題が顕在化し、2024年度の薬価制度改革でポジティブな措置が一部とられたと認識している。一方、世界における日本の市場は、かつて2位だったが今は4位。成長率も先進国に比べて低く、様々な懸念が残る状況だ。
ドラッグラグ・ロスの問題について。過去5年間、欧米では発売されているものの日本では未発売の医薬品は約200品目。その過半数ががんや希少疾病などニーズの高い治療薬だ。まさにこのアンメットメディカルニーズの高い領域に対して、新規モダリティが多く出てきている。細胞治療や遺伝子治療などの創薬により、治療の個別化が可能になったり、根治に近い状態に治療できる疾患も創出されてきており、治療というものがドラスティックに変化しはじめているのが今ではないかと考えている。
新規モダリティにおけるラグ・ロス問題には、研究開発から製造・流通に至るまでに様々な課題があり、厚生労働省と内閣官房主導のもと盛んに議論されてきた。2024年度薬価改定が実施され、その後、創薬力向上構想会議、ヘルスケアスタートアップ等の振興・支援策検討プロジェクトチームが発足した。まさに今がポジティブなモーメンタムが高まっていると言え、バリューフラワーのような多面的価値について積極的に議論できる環境が整ってきている。
バリューの測定は、企業にとっては薬価算定が一例とて挙げられるが、薬価算定は基本的にはPMDAにより作成された審査報告書のデータを用いてなされる。薬価は、類似薬が市場に存在するかどうかによって、類似薬効比較方式あるいは原価計算方式でベースとなる価格が決まり、その後、既存治療と比較した追加的な価値が補正加算として評価される。この補正加算は、価値を定量的または定性的に評価することで決定されるものと認識している。有用性系加算の項目に新薬がヒットした場合、ポイントが加算されるが、2024年度薬価制度改革では、加算される項目が一部見直された。新規モダリティの価値が高く評価され、臨床上有用な新規の作用機序としては、創薬および製造のプロセスが類似薬等と大きく異なる点が評価されている。また、類似薬に比した高い有効性・安全性としては、これまでは基本的にはRCT(ランダム化比較試験)を実施した結果のみが評価されていたと認識しているが、今回は単群試験の成績も評価いただけることになった。特にアンメットニーズの高いがんや希少疾患の領域は患者数が少ないことから単群試験で実施する。その疾患領域で初めて、例えば細胞治療などを行う場合も単群試験なので、科学技術の進歩に伴った改革になったと感じている。対象疾病の治療方法の改善としては、特定の患者集団に適応が限定され、当該集団に対して高い改善が示される場合、患者QOLの向上など、臨床試験での重要な副次的評価項目において既存の治療方法に比べ改善が示される場合もポイント加算されることとなった。個別化医療が増え、臨床試験における主要評価項目以外のデータが多々出てくるなか、運用等で評価いただければと期待しているところだ。
単群試験の結果をどのように評価するかについては課題がある。ひとつの手立てとしては、間接比較を実施することではないかと考えている。弊社でも新薬が出た際にその優位性を間接比較で示すことはよくある。海外の間接比較データ利用を検証してみると、過去10年間で急速に間接比較データのガイドラインが発出されている状況だ。海外の規制機関とHTA機関においても、企業が提出した間接比較データが意志決定にも影響を与えていることが多数確認できた。
今後の課題について。新たな有用性系加算の項目が適切に運用されることが重要。今後の技術革新によって生じる新たな価値をどう評価していくか。例えば、遺伝子治療や細胞治療などの評価が既存の方法でできるのか。多面的な価値を評価する際であっても、PMDAの審査報告書に記載されていない項目は評価されがたいことは、評価のバリアにもなると感じている。ただ、そこを改善していくとなると、評価体制やそのために必要な人材についての議論も必要となるだろう。
講演4

医療の価値と公平性
キャンサー・ソリューションズ株式会社代表取締役社長
桜井なおみ
まず、橋本座長からお話があったように「消費者」としての立場でここに登壇させていただいたことに感謝している。医療の価値の議論の場に患者団体が登壇するのは画期的なことだ。今の患者団体がどのようなことを考えているかをお伝えしたい。
まずは「森の価値」を考えてみたい。林野庁は森林の公益的な価値評価を行い、水源かん養機能、土砂流出防止機能などの評価額を「見える化」した。医薬品に関しても、価値を見える化する試みはたいへん重要なことだ。私たちの団体は、働く世代、小児、AYA世代のがん患者を支援している。仕事を失うと社会にどのくらいの損失を与えるかを算出すると、1兆円以上と大きなインパクトがあった。価値の定量化においては「共通の言語」が重要な視点となり、貨幣価値というものはわかりやすい。見えない世界を定量化するひとつの方法としてのリアルワールドデータに期待を寄せてはいるが、バイアスの問題もあり課題も残る。ESMO(欧州臨床腫瘍学会)では、データをEU全体でどう集め、どう活用していくかの議論もなされている。データの突合という観点に関して、日本は少し出遅れていると感じている。欧州ではこうした議論に消費者団体(患者団体)も入って、一緒に考えている。その対話の場が学会の中にもある。
例えばここに同じ薬剤を評価した2つの論文がある。一方は、研究のエンドポイントを全身の筋肉量と握力の増加で測っているが、もう一方の論文では、毎日の食欲、家族が一緒に食事を楽しめたかといった項目も評価に加えている。主観的評価であるが、患者団体からみると大変共感する評価である。こうした生活よりの評価指標、研究がもっと進展しないものかと日々感じている。
研究結果が出た際には、エビデンスだけでなく、それをどう評価して社会と合意形成していくかが重要。研究結果が出てから評価方法を議論するのではすでに遅く、もっと早期の段階から患者が関わっていくことが重要だ。どういう研究が必要なのか、どういうエンドポイントを入れるべきなのか、どういう評価指標が必要なのか、その時点から消費者の声を反映させなければならないと考えている。PPI(Patient and Public Involvement:患者・市民参画)を早期に取り入れ、全ての段階で患者の声を聞き、誰もが納得できる社会のゴールを目指していただきたい。
価値が多様化するなか、患者会活動にも変化が出てきている。20年ほど前、海外では当たり前に使える薬が日本では使えないドラッグラグが課題であった。アメリカの学会では10年ほど前から医療経済の領域も語られるようになってきたが、国内ではまだ珍しい。
例えば、がん遺伝子パネル検査(がんゲノム医療)。患者の期待はとても大きい。周囲にもこの医療を受けて、寛解した方がいるし、そこまで行かなくとも豊かな時間を過ごすことができた人たちもいる。まさに「希望の価値」である。ところが、がんゲノム医療は、日本の保険制度の中では、標準治療がなくなった人に限られ、かつ、一生に1回しか受けられない。期待を寄せていた個別化医療だが、この設定では、病状が進行した状態なので、フェーズ3の研究に参加することは難しく、フェーズ1に限定されてしまう。フェーズ1試験は東京など、参加施設が限定されてしまう。北海道から飛行機で通うのは現実的ではなく、実際あきらめる患者もいる。アメリカでは多くの患者がゲノム検査を用いて治療にアクセスできているのを目の当たりにした。そこで、患者団体として要望書を提出させていただいた。保険収載の対象範囲については患者団体の中でも議論が紛糾し、やむなく「適切なタイミング」といった言葉を使うことになった。結果として提示されたのは、混合診療の対象拡大、そして、「民間保険の活用も含めた保険外併用療養費制度」との記載だ。これでは、人によって、アクセスできる人、できない人が出てきてしまう。他にも、がん保険はがんになったら入れないので、小児がん体験者はどうするのかといった課題もある。がんになっても入れる好条件の民間保険が必要では。そんな議論もあった。混合診療の拡大には市民を含めたもっと多くの議論が必要。その際、共通の言語として語るうえで「価値」という視点が重要になるだろう。
価値を共通言語として語る上では、欧州のような医療経済学を政策活用することに期待している。どんな治療や研究がいいのか、研究段階から患者が関与しており、プルーフ・オブ・コンセプト(治療概念の実証)の確認にも患者が加わっている。また、規制当局の審査の段階でも患者が入り、その医薬品の社会的な意義や患者にとっての価値について語るしくみになっている。私が参加した患者向けセミナー(ESMO CONGRESS 2024)には、約300名の患者のほか、医療従事者、保険者、製薬企業、HTA、EMA、WHOなど、ほぼすべてのステークホルダーが参加し、盛んに議論していた。HTAの方の話で印象に残っているのが、これまでの薬の評価は、効果とリスクをカメラで撮った「写真」のようなもの。これからは、ペイシェント・ジャーニーを見ながら費用と影響も踏まえる「映画」に変わっていくということ。今のままの評価では不足しているのでは?という議論がされた。また、サイエンスの有効性は立証されても、保険収載はされていない国もある。AvailabilityとAccessibilityのちがいについて、国家予算、ガイドライン、薬価ラグの問題などが話し合われた。日本では安定供給、ドラッグラグ・ロスが話題だが、私たちはこの原因は決して薬価だけの問題ではないと考えている。臨床試験の情報は、私たちは一切入手することができない。私たち国民の一人ひとりが守りたいものは何なのか、イノベーションを評価していくための財源をどこに確保するのかということがしっかり議論されなければ、サスティナビリティや公平性という部分にまで立ち行かないだろう。Nothing about us without us. 私たち抜きに、私たちのことを決めないで。そう願っている。
講演5

Value flower 今日・明日・明後日
東京大学大学院薬学系研究科特任准教授
五十嵐 中
どの介入を優先すべきか?
1問目
1)70歳の高齢者、2)30歳の若い人、3)0歳の新生児──治療をしないと今すぐ亡くなるが、治療をしたら80歳まで生きられる。
2問目
A)70歳の高齢者、B)30歳の若い人、C)5歳の幼児──治療をしないと今すぐ亡くなるが、治療をしたらそれぞれ+10年長生きできる。
3問目
ア)40歳の人、イ)40歳の人、ウ)40歳の人──アは治療しないとすぐ亡くなるが、治療すると45歳まで生きられる。イは治療しなくても60歳まで、治療すると65歳まで生きられる。ウは余命は変わらず60歳だが、治療しないと75点の健康状態、治療すると100点の状態が維持できる。
私の学生3,000人ほどにアンケートを行った。1問目は、生存年数という軸をとれば、1)+10年、2)+50年、3)+80年と、異なる評価になる。しかしQALY計算すると、2問目はみんな10 QALY、3問目はみんな5 QALYとなる。アンケート結果では、1問目は0歳が優先され、2問目は比較的30歳の若い人が優先された。生産活動への従事が主な理由だった。つまり、同じQALYでも異なるQALYの価値があるということ。40年前のバーンスタインの言葉 “A QALY is A QALY is A QALY”を、私が訳すとしたら「どんな手段で得た1 QALYも同じ価値とみなす。それがあんた、QALYってもんだよ」となる。この発想に立てば、先の2問目、3問目はぜんぶ同じということになるが、rule of rescue(救命原則)という発想もある。また、「これから重視」のFair innings ruleなら、得られた10年をもっとも活用できる人、すなわち30歳の若い人が優先され、「これまで重視」のMeritocracy(功績主義)なら、たぶんお年寄り優先ということになる。これは実は、バリューフラワーにおける「重症度」に相当する。期間としてはQALYの目減り分で優先順位をつけようという発想があるし、転移性のがんやアルツハイマー病のように疾患に応じて優先されることもある。何の病気を優先させるか、どんな患者を優先させるかを配慮したうえで費用対効果分析を行うGRACE(Generalized Risk-Adjusted Cost-Effectiveness)という動きもある。
バリューフラワーはあくまで象徴シンボルであり、それ自体、生々流転していくものだ。2022年のISPORでも、バリューガーデンと提唱されている。様々な価値が浮かんだり消えたりしつつ、その時々、あるいはその国々によって大事な要素は構成される。
公平性の情報も加味した費用対効果の評価について。Equity-based weightingは基準値を調整する方法。基準値が高いのは致死的な疾患や超希少疾患などで、これはあくまで費用対効果という世界に閉じた考え方。DCEA(DISTRIBUTIONAL Cost-Effectiveness Analysis)は、費用対効果と公平性の2軸をバランスよく評価する手法。ECEA(EXTENDED cost-effectiveness analysis)は、ライフイヤーやQALYと同じアウトカムの一要素として見る手法。MCDA (Multi-Criteria Decision Analysis)は、有効性、安全性、QALYなどのすべて個別に重みをつけ、統合して意志決定に使おうという手法。2024年にカナダのGauvreauが小児領域に特化して数値化を行ったCATCH(Comprehensive Assessment of Technologies for Child Health)では、「Family impact」「Equity」「Life-course development」「Rarity」「Fair share or life」という比較的新しめの要素に重みが置かれている。
アメリカのICER(Institute for Clinical and Economic Review)がアラートを出しているのは、定量化すればいいというものではないということ。2023年改訂のICERの評価基準は、かなり公平性というところに寄せた評価となっている。例えばアンメットニーズをどのように定量化するかについては、患者がどう参画すべきかについても議論されている。ICERは、アウトカム指標としてQALYとevLYG(equal value life-years gained)、価格の基準を10万ドルと15万ドルとする4通りで、公平性の重要度合いに応じて定量化を図っている。また、デジタル技術に関しては、別の価値評価の手法があるのではないかという提言もしている。
バリューフラワーの中でこれまでもっとも議論されてきたのは生産性についてだろう。しかし、認知症を考えたとき半分以上は老老介護の状態となっている。さらに介護の現場では認認介護(認知症の人の介護を認知症の人が行う状態)もあり、その介護者は評価しなくてもいいのかという問題がある。そうした背景から、新バージョンのバリューフラワーには「家族への波及効果」という項目が加わった。諸外国でもこの項目を入れるかどうかではなく、どのように取り込むかという議論が進んでいる。小児の介護をする母親のQOLはかなり低い。従前は患者だけに向いていたQOLだが、次に介助者に広がり、最近は医療従事者のQOLも注目されている。医療提供者側の負担軽減により本当に必要なところへ資源を向けられる研究は今後さらに進むだろう。
「科学的波及効果」についてもいくつかの提案がなされている。イノベーションをどう反映させるか、どんな要素を取り入れるかという「イノベーションフラワー」という概念も登場している。
例えば認知症の方が施設に入ると家族の負担はいったん減少できるが、家にいてほしいという気持ちは定量化できない。また、遺伝性疾患で子を亡くした母親のQOL低下をどう捉えるかについてもイギリスで議論になっている。バイナリーのアウトカムやカテゴリカルなものも要素として定量化できないが、価格に反映することは可能という提言もある。要素として質的にしか評価できないことを値付けに使っているのは、まさに日本の有用性加算だと私は考えている。
ある意味、我々はバリューフラワーに拘泥しすぎたところもあるだろう。学生に希少疾患の動画を見せ、「大変な要素」は何かをノーヒントで聞いてみた。バリューフラワーが前提だとQALYやコストが最初に出てきがちだが、もちろん病気の負担はそれだけではない。学生の回答では「家族の負担」がかなり上位になった。バリューフラワーはひとつの花ではないし、ひとつひとつ違っていてもかまわない。だからこそ、随時、どのような価値要素がその時の治療の評価にとって大切なのかを考えながら、研究を進めていく必要がある。
パネルディスカッション

パネルディスカッションは、まず5名の演者による広範な話題提供を総括し、さらに深掘りする形で進められた。橋本座長は、誰がどの立場で価値を語るかによっても違いがあるし、また、アメリカのように民間保険が中心の医療制度と日本の国民皆保険制度のもとでは価値に違いがあるとしたうえで、デジタルヘルス技術と衡平性、認知症の問題、量的/質的データの利活用、公的医療保健の在り方などについて意見交換がなされた。さらに、すべての人にとっての公平はあり得ないという研究結果があるなかで、すべてのステークホルダーが満足する公平の価値はあり得るのか、日本のコントリビューション・エクイティとホリゾンタル・エクイティは世界トップクラスだが、一体何が足りていないのか、といった議論に広がっていった。
次いで会場からは、認知症治療薬の米国での価格設定の根拠についての解説や、健康の公平性という価値を実際に反映させるにあたっての課題、議論の内容を分かりやすく国民に伝える方法について、またオンライン参加者からは、国民皆保険制度の持続性について、質問や意見が寄せられた。
SDGsやダイバーシティという概念が社会の様々な側面に入り込んできたが、バリューフラワーもそのひとつである。そこで、自分はその中のどの花を育てるのか。その花は隣の人が育てようとしている花とどう違っているのか。それは一体なぜなのか。最終的には自分の花だけでなく、花畑全体をきれいに保つためにはどうしたらいいのかを考え、話し合えるようになることが望ましい。これまでの価値観の転換が求められるなか、我々一人ひとりがどのように新たな価値観への転換に寄与できるのかが、今求められている。橋本座長がそのようにまとめられ、熱い議論が展開されたシンポジウムを締めくくった。